大河内メンタルクリニック院長ブログ 折り折りのこと

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zoom RSS     院内講義(抜粋)7

<<   作成日時 : 2016/09/13 21:05   >>

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これまでに述べてきた「自我と自己自身との関係」は、「現実の社会的自己」とは違って理念的な人間の在り方に関してのお話です。
前者は「本来的自己」とか「真の自己」などといわれているものに重なります。その伝でいえば、後者の「社会的自己」は「にせ自己」ということになるのでしょうが、ユングは人生の後半に問題になる「本来的自己」の在り方につないでいくうえで、前者の「社会的自己」をしっかり築くことが重要であると語っております。ちなみに、「本来的自己」は自我が、先に述べたユングがいうところの「客観的所与としての自己」あるいは「自己自身」といったもの、外界になぞらえると、木や花や星や海などのように、自我の対象となる「不動の客体」に準じるものになるのでしょう。そして、しかしながら、それらの「純粋客観」に類するものは、「私」という存在が前提になって問題になることで、「私」の存在がなければ存在しないという矛盾が生じます。これは、「私」という現実の存在があるのは疑いようがない一方で、「私」の存在を消去して、なおかつ存在する何ものかがあるかどうかは、誰にも分からないという問題です。
ということですけれども、私という現実の存在が究極的にもとめるべきものは、「所与としての自己」ということになれば、それは自我という立場を超越した「宇宙的観点における自己」といったイメージになるのではないでしょうか。つまり「私」を消去しては何一つ確実に存在するといえる根拠はないものの、そうとでも考えなければ「立つ瀬がない」、「理屈が立たない」といったことになりそうです。
つまり、「私」があっての現象世界があるのですが、その「私」が存在している理由までは「私の預かり知らぬ」ことです。そして、しかしながら、現にこうして「私」は存在しているわけで、その向こうに何があるのか「私」が預かり知らない、という形で「自己」なるものが存在しているといったことになりそうです。
いずれにしても、「私」が無化されたあとに「何一つない」かどうかは「私」は知らないし、知り得ません。敢えていうならば、「無という世界がある」のです。「無いものがある」という解き難い矛盾が、そこにあります。そして、矛盾こそが人間存在の一大特徴です。
ありていにいえば、「死後の世界」といったものを漠然とでも想定しなければ、「自己」の存在はありません。「本来体自己」も「真の自己」も「偽の自己」もないわけです。そういう意味でも「自己」がなければ好き勝手に生きればいいことにもなりかねないという話になりそうです。
とはいえ、科学が万能なこのご時世で、こうした神がかったことをいえばあざ笑われるだけのことになりかねません。とはいうものの、「科学的に確かな」ことの向こうの世界は科学が通用しない、というだけのことで、だからといって科学的にだけ割り切ろうとしても、それは無理な話、ということでもあります。
現実には、いま述べた「理念的な在り方」は大多数のものが不問に付していることです。そういうことは、そもそも念頭に浮かぶこともなく、「現実の生活」という目先の問題にかかりきりになっているのが「ふつう」です。そして、その現実の生活、つまり「社会生活」がうまくいってもいかなくても、先ほどの理念的な自己の追及ということからすると、ずいぶんと軌道が外れた生き方をしているのが実際であるように見えます。つまり、我々はふつうに日常生活を送っている過程で、自己の自己自身との関係の軸からは大きく外れることになるは必然です。
そういう意味でも、我われ人間は「社会的生活」についての問題の彼方に、「計り知れない何か」ある、ということが漠然としてでもあるべきではないかと思うしだいです。
精神の困難、精神疾患といった問題は、そういう筋の上でなければ問えない、というのが私の立場です。そして、社会生活での困難が死を待望するほどに人を追い詰めることがあるので、そういう意味で、社会生活の背後にある「無際限の世界」があることを思ってみるのは、場合によっては意味があるのではないかと思うのです。
こういう「現象的世界」の彼方にあるものは科学は問えません。そして、現象という意味からして、現に目で見たり、耳で聞いたりという「知覚的実在」という「科学の対象となる世界」が、そういう限界があるが故に、それは自ずから、その限界の向こうの問題をも「指し示している」のも疑いようがないのです。
こういう言い方で明らかにしたいのは、死の問題です。この問題について人間的意味を捉えていかなければ、生の問題は問えないのは明らかではないだろうか、ということがあるからです。そして、いま述べたように、死とは無際限に広がる「囲いのない世界」ともいえるようです。('16/9/13)





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