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大河内メンタルクリニック院長ブログ 折り折りのこと
ブログ紹介
精神に起因するもろもろの病いは、その人の人生が強いられた山登りになっているからと、比喩的に要約できるように思います。
この比喩でいえば、人生という山は無限性の性格を持っています。
山登りを、強いられてする人はいないと思います。それは楽しみ、喜びがなく、苦痛なばかりで、虚しい試みだからです。
人生という山登りは、してもしなくても自由というわけにはいきません。
それはしなければならないものですが、自分の意志に基づかせるのでなければ、耐え難いものになるに違いありません。
そういうことを念頭に、「山岳ガイドの弁」というサブタイトルの下に、ひごろの思いを述べてみたいと思っています。

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タイトル 日 時
       精神科より
        孤独 5 外向型は、おおむね明るい性格です。 内向型は、おおむね暗い性格といえるのでしょう。 これはこころの意識世界の主宰者である自我が、こころの外界に意識を向ける 傾向が強いか、あるいは内界に向ける傾向が強いかという自然由来の傾向の問 題です。 こころの内界は深く進めば進むほど暗い世界です。 その深奥は真の闇です。 つまり自我の能力が及ばない世界です。 それは俗に奈落と呼ばれています。 自我が無意識に呑み込まれると、さまざまな死があります。 意識を失うさま... ...続きを見る

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2018/08/17 20:55
     精神科より
           孤独 4 性格類型には外向型と内向型とがあります。 グループ・ミーティングの席で、患者さんたちに「あなたの性格類型は何だと 思いますか?」と訊いてみたことがあります。 全員が「内向型」といっておりました。 そして「外向型が羨ましい」と一様にいっておりました。 このことは予測されることであり、そして大きな問題です。 それは「私は社会生活の不適合者である」と自分で決めていることになるから です。 「社会生活の不適合者」となれば、ふつうは「人間失格」の響きがあり... ...続きを見る

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2018/08/17 20:53
     精神科より
           孤独 3 人は「私」が望むようには動いてくれません。 望むように人を動かしたければ権力者になるしかないようです。 我われ人間は依存しあって自己を護ります。 それは自我に拠る人間(社会的存在としての人間)の宿命です。 我われは社会的存在として生をまっとうしなければならないのです。 社会的存在であるそれぞれの自己は、他者との相対関係を生きる宿命の下にあ ります。'18.8.11. ...続きを見る

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2018/08/17 20:51
    精神科より
      孤独 2 ひととうまくいくに越したことはないでしょう。 しかし思うようにいかないのが世の常です。 とりわけ人との関係は思い通りにいかないのはご存知のとおりです。 そこに孤独の意味があります。 孤独には自分を護る砦の意味があるからです。 帰っていく自分の砦があるから、人との関係をもとめることができるのです。'18.8.11. ...続きを見る

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2018/08/17 20:49
        精神科より
    孤独ーT 孤独は一般に敬遠されます。 人はひとと仲良く過ごすことを望みます。 中には、そんなことは望んでいないという人もあるかもしれません。 しかし意識下ではそういう「野心」がないとはいい切れません。 でも、孤独に認めるべき意味はないでしょうか?  '18.8.11. ' ...続きを見る

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2018/08/17 20:45
こころの病気についてーその前提としての問題 4
 現象といえば、雲をつかむような印象を受けるかもしれません。 その一方で、「見た」、「聞いた」といったことであれば、ゆるぎない事実という思いがあるのではないでしょうか。 例えば、Aなる人物が「先日、ユーホーを見た」といえば、信じる人もあれば、信じない人もあるでしょう。まるきり信じない人は気にもとめないでしょうし、Aに信頼を寄せるひと(Kとしておきます)であれば確かめにいこうとするかもしれません。 この「見た」という話は「科学的レベル」の問題です。それは知覚が捉えたという意味で、客観的事実に... ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/06/11 21:06
コラム   1
うつ病であれ、神経症であれ、「こころの病」は内科などでいう「病気」とは本質が違います。 例えば、内科で「胃が痛い」という訴えがあれば、身体を触ったり、血液検査をしたり、場合によっては胃カメラ検査をしたりして「病気」を特定します。 同じことを精神科で訴えた場合は、心因性のモノである可能性が問われることになります。 つまり内科などの身体科では患者さんそのものが問われるのではなく、一般論としての身体が問われ(ます。 それは言葉を換えれば,医者―患者の双方ともに「こころにとっての外的な問題」が問... ...続きを見る

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2018/05/27 19:09
コラム 3
「私」というそれぞれの自己は現象世界の住人であるということが、こころの問題を捉える前提です。 それは意識するかぎりであらゆるコトが存在可能であるという意味でもあります。あらゆる存在が「私」が意識できるかぎりで可能であるという意味でもあります。 「私」が不在であっても、Aという人物が存在しているというのは自明ではあります。しかし、その自明性の前提は「私」がAを意識するかぎりで可能であるということです。 私がただの一度も会ったこともなければ聞いたこともない人は無数にあるでしょう。それでも、私が... ...続きを見る

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2018/05/26 13:49
   コラム 2
うつ病の原因は何かという問いには「うつ病に原因はない」というのがその答えです。 原因―結果という因果性の世界は科学の領域です。こころの世界は科学では測り得ない領域です。それは強いていえば、現象、イメージなどといわれる世界です。 その世界は一人ひとりの「私」である自己存在が、それぞれに現象せしめている領域です。そして、そのそれぞれの世界が人間同胞として誰もが相互に共有可能性を内包しているということでもあります。 それは一人ひとりが独立しつつも依存しあう人間存在の構造を持っている、というふうに... ...続きを見る

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2018/05/26 13:36
クェスチョンタイム 2-3―A
A:::前回述べたイメージの問題だが、モノとは違ってイメージであるが故に変容する。 Q:・・・ A:ということは、誰であれ好ましい自己に向けて変容可能であるということである。 Q:・・・ A:何をいいたいかといえば、たびたびいっていることでもあるが、精神科の治療は「医者が治す」のではなく、「自 己の成長」が目論まれるということである。 Q:・・・ A:それは言葉をかえると、精神科治療が目論むのは患者であるPさんの自己が変容していくことである。 Q:もう少し具体的にいってほしい。 ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/01/18 19:44
クェスチョンタイム 2-2
Q:私が存在するためにはキミの存在が前提だというのは、どうしたって解せない話だ。 キミがいないところで、ぼくが誰かと会うことができないとでもいいたいのか? A:・・・ Q:それはそれとして、何でこんなややこしい話になったんだっけ。 A:キミが、客観的な判断でなければおかしいなんていい始めたからだよ。 Q:それはおかしな疑問だとは思わないけどね。 A:それに応えているところでもある。 Q:・・・ A:そもそも、こころの問題を客観的に分かりやすくというのが厄介な注文なんだ。 Q:・... ...続きを見る

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2017/12/01 20:54
クェスチョンタイム 2-1
Q:すると、どうなるの? A:原点に戻るということ。 Q:???・・・ A:問われているのは「(患者である)あなた自身」です。 つまり「あなた」と切り離された「病気」、一般化された「病気」があるわけではない。 Q:私が病気だとすると、あれこれの症状を訴える。医師はそれらに基づいて何らかの  判断をするんでしょう? その判断は客観的なものでなければおかしいと思うけど。  A:訴えられる症状を訊いたり、表情、立ち居振る舞いなどを観察したりすることで、医者である私の内界からイメージの生起... ...続きを見る

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2017/12/01 20:51
翳り 6−1-B
人間は社会的存在であるかぎりは、明視の世界である意識の表層が活動の舞台である。 その世界の主宰者は自我のウサギ性である。 意識の表層である「明るい世界」で、ウサギは対人関係をこなすのが最大の仕事である。 自我はウサギ性とカメ性とを併せ持っている。 そのどちらか一方だけを持っているというものではないということは、誰についてもいえることである。 ウサギもカメもそれらの基盤は生まれ持ったものである。 とりわけカメは、生まれ持った本性に従う。 しかしウサギは人為の知恵も持っている。 人為... ...続きを見る

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2017/11/23 21:00
 翳り 6−1-A
イソップ物語のウサギとカメの寓話は、人間の性格の外向型と内向型に置き換えることが可能である。 そのように提案するのは、そうすることでイメージがしやすくなるのではないか、自己 理解に寄与するものがあるのではないかということである。 この物語のウサギのイメージから伝わってくるものは、人目をひく活躍をすることと強者であることの奢りである。 成功するウサギは世間知に長けている。 目上のウサギに礼儀正しく、目上のウサギに認めてもらうためには労を厭わない。 そして、それだけの能力を持っている。 ... ...続きを見る

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2017/11/23 20:58
翳り 6−2
「死にたい」という気持ちは、「生きていたい」というこころと対になっている。 生と死、男と女、裏と表、悪と善、自己と他者、影と光などなど「二項対立」は自我に拠る社会的存在である人間の特徴である。 比喩的ないい方をすれば、人間の精神世界は「自我に拠って人間が自然界から独立して、植民地として認められた」といった構図である。 認めたのは誰かといえば、いま述べたいい方に倣えば「大自然」であるということになる。 その「大自然」は自我に拠る世界ではないので「名づけ得ない世界」である。 「名づけ得る世... ...続きを見る

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2017/11/16 19:26
翳り 8
凡庸なウサギ族は、優れたウサギに取り入ろうとする。 彼らは内面を生きる能力が低いので、似た者同士で肩を組み合おうとする。 それがウサギ族のひとつの特徴である。 彼らは社会的にどうであるか、ということにしか思いが及ばない。 しかし現実には社会的な生きざまは、いずれ終焉に至るのである。 その観点からすれば、カメ族は「社会的囲い」の彼方へも目配りをする能力を持っている。 それは能力が高いカメ族は創造的な生き方をする能力を持っているという意味である。 言葉を換えれば、それは自我が他者との依... ...続きを見る

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2017/11/02 18:58
クェスチョンタイム 4
Q:医者はどういう立場になるわけ? A:医者はあり得る問題の一般論は原則的に知っている。それで、それを下にし て患者さんから可能なかぎり情報をもらわなければならない。 Q:患者が自分でできないのは、記憶力とかの問題ではないよね。 A:それが困難なのは、自我と無意識の関係にいきつくでしょう。 Q:・・・ A:両者の力関係は、圧倒的にという以上に比較を絶しているということでもある。 Q:・・・。 A:だから自我は、しばしば恐れをなす。その度が過ぎると自我がフリーズして 機能不全化するこ... ...続きを見る

驚いた ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/10/26 19:04
クェスチョンタイム 3
Q:そうすると、どうなるわけ? A:あなたの問題です、ということになる。 Q:???・・・ A:胃というモノが問題であれば、つまり「私」という固有の存在の構成要員と しての胃は、「私」という個的なものから切り離すと「一般名詞としての胃」になる。 そういう性格の胃であれば「私が治してあげる」と医者はいえる。 しかし、こころに関しては「あなたという存在者」そのものが問題になる。  ということになると「医者が治す」というレベルの話ではない。 Q:患者としてはどうしたらいいのかな。自分では... ...続きを見る

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2017/10/26 19:03
クェスチョンタイム 2
Q:すると、どうなるのか? A:原点に戻るということ。 Q:???・・・ A:病むのは、取りあえずは「私」である誰かでしょ? Q:胃が痛いのも? A:それを訴えるのは、誰かである「私」になる。 Q:・・・ A:胃痛を訴えているのだから、焦点が胃になるのは間違いない。 それで検査をすすめる。 Q:・・・ A:結果として胃にはなにも問題がないということも珍しくはない。 Q:???・・・ A:原点に戻るというのは、病んでいる誰かである「私」そのものが対象になるということ。’... ...続きを見る

ガッツ(がんばれ!) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/10/26 19:01
クェスチョンタイム 1
Q-1:こころの病気は治るか? A-1:こころの病気は治る、治らないという問題では、そもそもない。 Q-2:というと? A- 2:こころの病気についての診断は国際的に混乱している。暫定的にWHOが主導して「国際疾病分類=ICD10」というものが定められている。 Q-3:その何が問題なのか? A-3:ICD10には以下の断り書きが添えられている。 「いかなる分類もいまだ完璧なものではない。われわれの知識が進み、また分類の経験が蓄積されるに従って、さらなる改定や・・・」と暫定的なもので... ...続きを見る

かわいい ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/10/26 19:00

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