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大河内メンタルクリニック院長ブログ 折り折りのこと
ブログ紹介
精神に起因するもろもろの病いは、その人の人生が強いられた山登りになっているからと、比喩的に要約できるように思います。
この比喩でいえば、人生という山は無限性の性格を持っています。
山登りを、強いられてする人はいないと思います。それは楽しみ、喜びがなく、苦痛なばかりで、虚しい試みだからです。
人生という山登りは、してもしなくても自由というわけにはいきません。
それはしなければならないものですが、自分の意志に基づかせるのでなければ、耐え難いものになるに違いありません。
そういうことを念頭に、「山岳ガイドの弁」というサブタイトルの下に、ひごろの思いを述べてみたいと思っています。

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タイトル 日 時
     精神医療の問題 ずいそう 3
光と影 3 いささか脱線することになるが、精神医療の現場においても、患者さんの姿勢としては医者に教えてもらおうとするのは正しくない。 医者―患者関係において求められているのは、両者の協働において患者は患者自身の、医者は医者自身の自分の内奥の声に耳を傾けることをである。 そして、その上で改めて医者―患者関係の協働があるべきである。 そうした「活きた治療関係」の上に意味のある産物が得られるだろう。 ここでいう「協働」というのは、医者―患者双方の「治療的意志」といったものが働いていることを前... ...続きを見る

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2019/03/12 20:24
精神医療の問題 ずいそう 2
光と影 2 光と影とは自我と無意識とに由来する。 それが「こころ」の大枠であるが、しかしながら「こころ」一般といったものはない。 自我と無意識とで「こころ」を語ろうとすれば、人間を論じるのを解剖図をもってするようなものである。 「活きているこころ」を語ろうとするのであれば、「私というそれぞれの自己」に即して語ることになる。 つまり人間を語る上での活きている教材は自己自身である。 こころについて、あるいは人間についての書物は、いかなる名著であっても自己を知る上での手引書の域を出ることは... ...続きを見る

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2019/03/12 20:23
精神医療の問題  ずいそう 1
光と影 1 精神医療の究極のテーマは死の問題であるように思われる。 死の問題などといえばどぎつく感じられるかもしれないけれども、この問題は精神医療の全容を覆っている。 ということの意味は「光と影」の影は、文字通り日常生活に影を落としているということと、その影は死を淵源としているということである。 死といえば「受け入れがたい」思いがあるかもしれない。 ... ...続きを見る

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2019/03/12 20:22
    精神医療 ショートメッセージ 7
  #:精神科の診療では、その都度の診療行為が「創造的であるか」が問われている。     そういわれることがあり、私もそう考えている。 ...続きを見る

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2019/03/04 10:10
    精神医療 ショートメッセージ 6
  #:精神科の診療では、その都度の診療行為が「創造的であるか」が問われている。     そういわれることがあり、私もそう考えている。 ...続きを見る

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2019/03/03 18:04
精神医療 ショートメッセージ 5
#:生きる意味は何か?   我々は‘考える力’を持っている。 その考える力は乳幼児にはほとんど欠けている(欠けている分、五感が鋭く働いているが).。   だから、生きる意味は「考えて分かる」ことではない。   その「考えても分からない世界」を超越的世界という。   その世界は大自然とも呼ばれている。   つまり、生きる意味は手探りで「(大)自然の知恵」に従うことにある。 ...続きを見る

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2019/03/03 18:01
精神医療 ショートメッセージ 4
#:過食は行為ではない。 そこには意志が働いていないからである。 そこでは自我が無意識のしもべになっているからである。 ...続きを見る

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2019/03/03 17:58
精神医療 ショートメッセージ 3
#:独創というほどのものであれば、そこでは自我―無意識―こころの内外の対象のトライアングルが協働して機 能している。   それは芸術と呼ばれる行為に準じている。 ...続きを見る

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2019/03/03 17:55
精神医療 ショートメッセージ 2
#:「いま、このとき」を生きているとき、それを行為と呼ぶ。 そこには何らかの意志が働いている。 ...続きを見る

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2019/03/03 17:49
精神医療 ショートメッセージ 1
#:我われ人間は日々独創を生きる使命を負っている。 ...続きを見る

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2019/03/03 17:47
   精神科より  自我に拠る社会的存在について 4
相対的世界の問題 1 相対的世界というのは、我々人間が「自我に拠る社会的存在」である以上はそうなるのが必然といえる世界です。 砕けたいい方をすれば、キミもアナタもワタシも似たり寄ったり、ということになります。 問題は、似たり寄ったりなので、みんな仲良くとなればいいのですが、実態は力比べ、人に負けるなといった争いごとが絶えなくなります。 禅僧の故・鈴木大拙氏は「この相対社会では、どこを... ...続きを見る

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2018/08/30 20:51
 精神科より  自我に拠る社会的存在について 3
こころは「小宇宙」といわれることがあります。 そのことは、無意識界は無限性の性格を持っている大宇宙がこころに及んでいるということを意味しているようでもあります。 それは同時に、心というもの、人間存在というものが大宇宙から派生されたものであるということを示唆しているようにも思われます。 以上のことは自我が無意識に落ちる(没収される)と、それが、つまり「死」であることから類推されることです。 こうした議論の正当性は、精神医療に意味のある還元可能か否かにかかっています。 精神医療の現場では、... ...続きを見る

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2018/08/30 20:49
   精神科より 自我に拠る社会的存在について 2
自我が主宰する意識の世界は、「それ自体」の世界ではありません。 「それ自体」というのは、何ものにも依存せず自己完結している「一様の世界」といった意味です。 そういう性格を持っているのが無意識界です。 「自我に拠る社会的存在」は「一様の世界」である無意識界に依存しています。 このことは無意識界が、人間(社会的存在)が依存を不可欠のこととしていることの根底にあるモノであることを指し示しています。 そして、そのことは、「一様の世界」である無意識界は言葉を換えると「全体性の性格」であることを、... ...続きを見る

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2018/08/30 20:48
精神科より  「自我に拠る社会的存在」について
1 「自我に拠る社会的存在」という用語が汎用されるので、この用語について説明しておきます。 自我は(自己の世界の)意識世界の中心と呼ばれています。 もっとも自我と自己との概念は同一の扱いを受けることもあるなど、それらの概念は歴史的に混乱しています。 自我、自己についてここではユング派の論客であるヤコービに従っています。 自我が意識世界の中心であるとい... ...続きを見る

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2018/08/27 20:15
こころの病気についてーその前提としての問題 4
 現象といえば、雲をつかむような印象を受けるかもしれません。 その一方で、「見た」、「聞いた」といったことであれば、ゆるぎない事実という思いがあるのではないでしょうか。 例えば、Aなる人物が「先日、ユーホーを見た」といえば、信じる人もあれば、信じない人もあるでしょう。まるきり信じない人は気にもとめないでしょうし、Aに信頼を寄せるひと(Kとしておきます)であれば確かめにいこうとするかもしれません。 この「見た」という話は「科学的レベル」の問題です。それは知覚が捉えたという意味で、客観的事実に... ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/06/11 21:06
コラム   1
うつ病であれ、神経症であれ、「こころの病」は内科などでいう「病気」とは本質が違います。 例えば、内科で「胃が痛い」という訴えがあれば、身体を触ったり、血液検査をしたり、場合によっては胃カメラ検査をしたりして「病気」を特定します。 同じことを精神科で訴えた場合は、心因性のモノである可能性が問われることになります。 つまり内科などの身体科では患者さんそのものが問われるのではなく、一般論としての身体が問われ(ます。 それは言葉を換えれば,医者―患者の双方ともに「こころにとっての外的な問題」が問... ...続きを見る

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2018/05/27 19:09
コラム 3
「私」というそれぞれの自己は現象世界の住人であるということが、こころの問題を捉える前提です。 それは意識するかぎりであらゆるコトが存在可能であるという意味でもあります。あらゆる存在が「私」が意識できるかぎりで可能であるという意味でもあります。 「私」が不在であっても、Aという人物が存在しているというのは自明ではあります。しかし、その自明性の前提は「私」がAを意識するかぎりで可能であるということです。 私がただの一度も会ったこともなければ聞いたこともない人は無数にあるでしょう。それでも、私が... ...続きを見る

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2018/05/26 13:49
   コラム 2
うつ病の原因は何かという問いには「うつ病に原因はない」というのがその答えです。 原因―結果という因果性の世界は科学の領域です。こころの世界は科学では測り得ない領域です。それは強いていえば、現象、イメージなどといわれる世界です。 その世界は一人ひとりの「私」である自己存在が、それぞれに現象せしめている領域です。そして、そのそれぞれの世界が人間同胞として誰もが相互に共有可能性を内包しているということでもあります。 それは一人ひとりが独立しつつも依存しあう人間存在の構造を持っている、というふうに... ...続きを見る

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2018/05/26 13:36
クェスチョンタイム 2-3―A
A:::前回述べたイメージの問題だが、モノとは違ってイメージであるが故に変容する。 Q:・・・ A:ということは、誰であれ好ましい自己に向けて変容可能であるということである。 Q:・・・ A:何をいいたいかといえば、たびたびいっていることでもあるが、精神科の治療は「医者が治す」のではなく、「自 己の成長」が目論まれるということである。 Q:・・・ A:それは言葉をかえると、精神科治療が目論むのは患者であるPさんの自己が変容していくことである。 Q:もう少し具体的にいってほしい。 ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/01/18 19:44
クェスチョンタイム 2-2
Q:私が存在するためにはキミの存在が前提だというのは、どうしたって解せない話だ。 キミがいないところで、ぼくが誰かと会うことができないとでもいいたいのか? A:・・・ Q:それはそれとして、何でこんなややこしい話になったんだっけ。 A:キミが、客観的な判断でなければおかしいなんていい始めたからだよ。 Q:それはおかしな疑問だとは思わないけどね。 A:それに応えているところでもある。 Q:・・・ A:そもそも、こころの問題を客観的に分かりやすくというのが厄介な注文なんだ。 Q:・... ...続きを見る

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2017/12/01 20:54

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