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大河内メンタルクリニック院長ブログ 折り折りのこと
ブログ紹介
精神に起因するもろもろの病いは、その人の人生が強いられた山登りになっているからと、比喩的に要約できるように思います。
この比喩でいえば、人生という山は無限性の性格を持っています。
山登りを、強いられてする人はいないと思います。それは楽しみ、喜びがなく、苦痛なばかりで、虚しい試みだからです。
人生という山登りは、してもしなくても自由というわけにはいきません。
それはしなければならないものですが、自分の意志に基づかせるのでなければ、耐え難いものになるに違いありません。
そういうことを念頭に、「山岳ガイドの弁」というサブタイトルの下に、ひごろの思いを述べてみたいと思っています。

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タイトル 日 時
    精神医療の問題 ずいそう 8
例えば不登校に陥った学生は、学校という囲いで自己の自由を護れなかったという意味の中にある。 過半は被害感と共にあるだろう。 そこでは、ひとつには自我の強さが問われている。 自我は対社会(対人)の軸、もう一つは自我―自己軸(ノイマン)というふうに二つの主要なものを対象化している。 前者の軸がしっかりしている者ほど、社会的な成功者、強者になれる可能性を秘めている。 それらの人たちは、いわゆる外向型である。 一方、後者は内向型である。 内向型は自己自身との関係を創造していく潜在的能力の持... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/12/09 20:50
   精神医療の問題 ずいそう 7
自由は生きる意味を支える上での絶対条件である。 自由は希望の母体である。 自由とは「囲いの中の自由」であるが、そのように有限化された世界には希望が成立しない。 希望の成立要件は、無限性の保証であるだろうからである。 従って、「囲い」は有限化された世界であるのは明らかなので、希望が存在する理由は「囲いの外」にならないわけにはいかない。 そして、そこは死界である。 ということは死は無限という性格の別称であるという意味になる。 「囲いの外」は無限界である。 宇宙である。 超越的世界で... ...続きを見る

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2018/12/09 20:49
精神医療の問題 ずいそう 6
現象的世界は囲いの世界でもある。 そこでは「囲いの中での自由」が保証されていなければ「囲い」は危機に瀕する。 「囲い」を危機に陥れる根源は死である。 死が「自我に拠る社会的存在」である自己を、あるいは「その自我」を痛打するときに「自己存在」は機能を失う危機に瀕する。 以上のように死は恐怖の根源である。 そして、その死の存在がなければ生もないという関係にある。 我々が「自我に拠る社会的存在」であるかぎり、自我は要の位置にある。 自我が「囲いの中の自由」を、あるいはそれぞれの自己が所属... ...続きを見る

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2018/12/09 20:48
   精神医療の問題 ずいそう 5
こころの病気といわれている現象は、「囲いの中の存在」としての自己の自我が機能不全化した様相である。 人間はひとつには「自我に拠る社会的存在」であるが、それはいい方を換えると「囲いの中の自由」を生きる存在者である。 自由は希望の成立要件である。 そして希望がなければ生きる意味もないだろう。 「自己の存在」というのは、自我に拠って社会という囲いの中での自由を行使する存在といい換えることが可能である。 その囲いは自己を護る意味を持つ。 しかし、それは「護る意味を持つ」ということから明らかな... ...続きを見る

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2018/12/09 20:45
    精神医療の問題 ずいそう 4
現象世界は不安と共にある。 その不安は根源的である。 その理由は、「私」の存在が明確、確実な基盤の上に立っているわけではないからである。 「私」は科学的に認められるという意味で実在しているわけではない。 科学者が用いる数式は実体的である。 科学者が発見したインフルエンザウイルスは実体的である。 いま述べた実体というのは、知覚あるいは理性が捉えることができるという意味である。 いま述べた意味での実体は、現象的世界から抽象されてきたものである。 だから「活きているモノ」ではない。 ... ...続きを見る

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2018/12/09 20:44
   精神医療の問題 ずいそう 3
世界は「私の世界」である。「私」を離れた世界一般といったものは存在しない。 つまり「私の世界」が消滅すれば世界も消滅する。 「あなた」は「私」の世界の共同存在者である。 「私」が存在することが「あなた」の存在を保障している。 「私」が存在しなければ一切が存在しない。 世界は現象として存在しており、その世界を現象せしめているのが「私」である。’18.12.7. ...続きを見る

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2018/12/09 20:43
   精神医療の問題 ずいそう 2
精神に関わる問題は何であれ「自己の存在」の問題に回帰する。 「自己の存在」というのは、それぞれの「私」のことである。 わざわざそういういい回しをするのは、「精神」にかぎらず何らかを問う主体は「私」になるのだが、とりわけ人間存在に関わることへの問いは私的な「私」ではなく、「私」一般、つまり「自己の存在」であるという意味がそこに込められる、ということである。 我々人間の生きる方向は、ひとつには「社会的存在」としての自己の問題である。 そして、ひとつには自己自身との関係を生きる筋での自己の問題... ...続きを見る

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2018/12/09 20:42
精神医療の問題  ずいそう 1
精神医療の究極のテーマは死の問題であるように思われる。 この問題は精神医療の全容を暗黙のうちに覆っている。 以上のことが前提になって、「生きることは死ぬことである」といった逆説めいた問題が人生のテーマになる。 死がなければ生もないのである。 生を語りたければ死をふまえないわけにはいかないのである。 そして生に意味をもたらすのは「死を受け入れる」ことである。 それは自我の仕事である。 死を受け入れることができる自我は、生に希望をもたらすことになる。 そのとき、死は無限性という性格を... ...続きを見る

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2018/12/09 20:41
  精神医療の問題  ショートメッセージ  8
#:死が単に生を否定するだけのものであれば、そもそも生きていく理由はない、あり得ない。 ...続きを見る

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2018/12/07 21:04
    精神医療の問題 ショートメッセージ 7
#:自我は対社会と対自己と二方向の基軸を持っている。 ...続きを見る

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2018/12/07 21:01
  精神医療の問題 ショートメッセージ 6
#:こころの病気は「人生の壁に直面して存在の泥濘に足を取られた」といった心的現象である。 ...続きを見る

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2018/12/07 20:59
   精神医療の問題 ショートメッセージ 5
#:自我は対社会と対自己と二方向の基軸を持っている。 ...続きを見る

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2018/12/07 12:49
 精神医療の問題 ショートメッセージ 4
#:「暗い世界」への探索行は「死を引き受ける」自我の営為である。 ...続きを見る

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2018/12/07 12:47
精神医療の問題 ショートメッセージ 3
#:自我のもう一つの主軸は対社会にある。 ...続きを見る

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2018/12/07 12:46
   精神医療の問題  ショートメッセージ  2
#:自我が自己を展開する主軸は、自我―自己軸である(ノイマン)。 ...続きを見る

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2018/12/04 17:50
   精神医療の問題 ショート・メッセージ 1
#:人間が生きる理由は、生命的(心的エネルギーと身体的エネルギー)エネルギーが与えられているところにあ る。 ...続きを見る

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2018/12/04 17:37
   精神科より  自我に拠る社会的存在について 4
相対的世界の問題 1 相対的世界というのは、我々人間が「自我に拠る社会的存在」である以上はそうなるのが必然といえる世界です。 砕けたいい方をすれば、キミもアナタもワタシも似たり寄ったり、ということになります。 問題は、似たり寄ったりなので、みんな仲良くとなればいいのですが、実態は力比べ、人に負けるなといった争いごとが絶えなくなります。 禅僧の故・鈴木大拙氏は「この相対社会では、どこを... ...続きを見る

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2018/08/30 20:51
 精神科より  自我に拠る社会的存在について 3
こころは「小宇宙」といわれることがあります。 そのことは、無意識界は無限性の性格を持っている大宇宙がこころに及んでいるということを意味しているようでもあります。 それは同時に、心というもの、人間存在というものが大宇宙から派生されたものであるということを示唆しているようにも思われます。 以上のことは自我が無意識に落ちる(没収される)と、それが、つまり「死」であることから類推されることです。 こうした議論の正当性は、精神医療に意味のある還元可能か否かにかかっています。 精神医療の現場では、... ...続きを見る

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2018/08/30 20:49
   精神科より 自我に拠る社会的存在について 2
自我が主宰する意識の世界は、「それ自体」の世界ではありません。 「それ自体」というのは、何ものにも依存せず自己完結している「一様の世界」といった意味です。 そういう性格を持っているのが無意識界です。 「自我に拠る社会的存在」は「一様の世界」である無意識界に依存しています。 このことは無意識界が、人間(社会的存在)が依存を不可欠のこととしていることの根底にあるモノであることを指し示しています。 そして、そのことは、「一様の世界」である無意識界は言葉を換えると「全体性の性格」であることを、... ...続きを見る

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2018/08/30 20:48
精神科より  「自我に拠る社会的存在」について
1 「自我に拠る社会的存在」という用語が汎用されるので、この用語について説明しておきます。 自我は(自己の世界の)意識世界の中心と呼ばれています。 もっとも自我と自己との概念は同一の扱いを受けることもあるなど、それらの概念は歴史的に混乱しています。 自我、自己についてここではユング派の論客であるヤコービに従っています。 自我が意識世界の中心であるとい... ...続きを見る

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2018/08/27 20:15

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