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zoom RSS      過食の問題 4

<<   作成日時 : 2017/07/20 21:30   >>

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いかなる場合Hでも、我われ人間は「生きるか死ぬか」という無意識下での綱引きをしています。
心的エネルギーが、生の方向と死の方向と、たがいに対抗する二筋の流れ方をしていると考えられるのです。こころの問題には必ず心的エネルギーが関与しているということでもあります。
我々が生まれ、かつ死ぬという人為を越えた宿命の下にあるかぎりは、それを裏づける生理的な根拠があるということです。
それは生きることも死ぬことも自然の摂理の下にあるということにも通じます。拒食症の方々が自然の摂理の下にあるのはいうまでもないとして、その在り方が一般とは趣を異にしているように思われます。
我われ一般が、生への執着心が強く、従って死への恐れが強いのはご存知のとおりです。それが自然の摂理を背景にしてのことであると考えると、拒食症では、それらの方々は生への執着心が希薄であるという問題は、それ自体が自然の摂理の下にある可能性をあらわしているようにも思われます。
それは「育ち方」ではなく「先天的な問題」である官能性がるように思われます。
一方、過食症の方々は「育ち方」にウエイトがあるだろうと思われます。
それらのことは、「治療関係」を通じてうかがえるのです。
過食症については、これが手ごわい問題であるとしても、治療関係が成立しさえすれば時間はかかっても解決可能であるのは経験的事実です。
そして、拒食症については先ほども述べたように、安定した治療関係が成立し難いのです。
そのことは、過食症者では人との信頼関係を、疑い深くではあっても望んでいるのに対して、拒食症者では、妥協のいろは見せても基本のところで人との関係を望んではいないことを意味しているように思われるのです。
このあたりは、拒食症の方に「そんなことはない!」という主張をお聴きしたいところです。
そういうことを踏まえると、拒食症の方からは、我われ精神科医は「こころの問題」の専門家として、人間存在の在り方について学ばなければならないという問題なのです。
それは普通一般のとは違った角度から、人間存在について教えていただく、といった問題ではないかと思われるのです。
「そんな考えはとんだ見当違いだ」という反論を、拒食症の方からうかがうことができれば有難い、といった気持ちです。’17.7.20



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