大河内メンタルクリニック院長ブログ 折り折りのこと

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zoom RSS 精神医療の問題 1

<<   作成日時 : 2017/07/07 11:51   >>

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精神科で扱われる「病気」は、内科などの身体科でいう病気と同じようには扱えない。
内科などでは、病気は生物学(自然科学の一分派)に還元されるので、病んでいる人の「個」性は問題とならない。
還元されるというのは、病んでいるのは「私である個性」であるが、その「個」性は排除されて身体の問題に帰せしめられるという意味である。
科学が万能であるように見える現代では、病気が科学的に扱われることが当たり前になっているので、いま述べたようなことをいえば、かえって分かりにくいかもしれない。
しかし、このことは「精神科的な病気」を捉えるうえでの要点である。
つまり精神疾患では、病める「個としての私」そのものが問題になるということである。
いわれてみれば、そんなことは当たり前だという気分にもなるかもしれないが、こと改めて「病気」ということになれば、習慣的に科学的理由をもとめるこころの動きがあると思われるので「あたりまえ」で済ませるわけにはいかないのである。
第一、 ほかでもなく精神医療の現場では「身体的な原因」を理想とする考えが当然
のようにある。それが果たされていない現在、「原因」は括弧にくくられている。そして、その一方で「心理的側面」も疎かにするべきではないという、もっともな
意見がつけ加えられている。
そういうことがあって、精神医療については、専門医のあいだで統一された見解に至っていないのが実情である。従って、精神科での疾病論は折衷的である。
例えば、現代の疾病分類の基準となっているICD―10(国際疾病分類 第10版)が、次のように記述している。以上に述べたこと(折衷的であるという問題)に関連しているので引用してみたい。

・・・現在のように情動や行動の臨床的な記述によるのではなく、少しでも生理的あるいは生化学的な測定によって臨床症状を区別する方法が開発されるまでは、この障害の分類について精神科医間の不一致はいぜんとして続くであろう。・・・

ここでいう生理的、あるいは生化学的な測定というのは、つまり、自然科学的な根拠のことである。
こうした観点は、自然科学的理解という現代的理想論の上に成り立っている。
自然科学が目覚ましい成果を上げてきたのは疑いない。そして現代文明を築きあげてきたものでもある。自然科学は人類の最大の達成といえるものなのだろう。
そして、そこに我々がおちいる陥穽があるというべきだろう。
というのは科学が輝かしい達成であるにしても、それが人間が最上位の存在者であることの保証、証明といったものではないからである。
現代の大きな問題は、我われ人間がどことなく最上位の存在者に成り上がっているところにあるといっても言い過ぎではないだろう。
そうした悲喜劇を招いているのが科学主義なのである。更にいえば、無意識世界を切り離して出来上がっているグロテスクな心的構造物が科学主義の根拠である。'17.7.6


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