大河内メンタルクリニック院長ブログ 折り折りのこと

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zoom RSS     院内講義(抜粋)10

<<   作成日時 : 2017/01/25 19:57   >>

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・・・というのは、精神科での心理療法といってもセラピストによってさまざまだからです。それで、心理(精神)療法がどのように進められるかは、「精神疾患」ということ、あるいは「精神の異常現象」をどう捉えるかということに他ならないので、精神科医としての私なら私の、こころについての問題の捉え方が明らかになるということです。
それは大事な問題です。というのは、こころという複雑、かつ錯綜している膨大な世界を捉えるには、その世界にどう分け入るか、どう秩序立てて捉えるかが問題といえるだろうからです。こころの全体をとらえることは、どだい無理な話なのでそうなります。そして、そういう試みが、こころの異常な現象を捉え、修復に向かわせる意味を持たなければならないからです。
そして、そういう試みに意味があるのは、異常な現象の解明というよりは、異常な現象を通じて自己という存在様態を深く掘り下げることが可能である、というところにあります。それは問うもの自身をより深く知るという意味を持つので、精神科医である私にとっては、患者さんとの関係で、「患者さんの問題」は、私にとって外的な問題ではなく、内的な問題、「私自身の問題」に他ならないことになります。それは「私自身の自己知を深める」という意味を持つことになります。そのように、「患者さんの問題は私自身の問題に他ならなくなる」ということを通じていいたいのは、私自身が云々といった問題ではないのは断るまでもありません。そうではなく、対人関係で起こるもろもろの問題は、「私の問題」と置き換えることが誰の場合でも可能であるということ、そうすることによって自分のこころを開拓し、深化させることが可能であるということです。それは「自分に関心を持つ」ことによって、無意識との協働を促すことになるということでもあります。そのように、自分自身への興味、関心が深めていくことによって、「自己組織の改編、成長」といった自己の変容が期待される、ということです。
ついでにいえば、「自分への関心」を明確に意識化できるためには、生きる意志が明確であることが前提です。ということは、人間には誰であれ「生きる意志」と「死の欲求」とがあり、それは二筋のエネルギーが、それぞれの通路を密かに流れているということです。だから、場合によっては死を希求するといった事態が起こり得るのです。・・'17/1/25


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