大河内メンタルクリニック院長ブログ 折り折りのこと

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zoom RSS      院内講義(抜粋)6

<<   作成日時 : 2016/09/10 20:13   >>

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スキーマの解説のつもりが、話がそれました。もとに戻します。
生まれて間もない赤ん坊は、しばらくは母子分離以前の、母と子が二人組の蜜月の境地である時代を過ごします。それは、この世に生まれることの「突然の人間化」とでもいった激変から赤ん坊の身を護る自然の叡智というべきものであるように見えます。そして、それは人間に特有の関係性の関係の突然の始まりを和らげるという意味を持っているように見えます。そうした母子が一体の蜜月時代では、母子の関係は関係以前の準備状態にあるわけです。それは、既に人間の萌芽状態にある赤ん坊にとって必要な「完璧」であることの形であるように見えます。その前段階の胎児である時代は、「完璧」というよりは、「それ自体」といった状況に置かれているといえるだろうと思われます。「完璧」という言葉は、「それ自体」という存在様式には意味を持ちません。それが意味を持つのは、「関係」というものの世界、つまり人と人、人とモノとの関係の世界でのことです。そこでは、「関係」が必然的に持っている「隙間」があり、その隙間を限りなく埋めていくことに対して「完璧」という用語が用いられております。人間の存在様式について回る「関係性」は、自然界にはありません。そこにあるのは、「それ自体」といった用語になるのでしょう。
赤ん坊の誕生というのは、いうならば自然界という「関係性の彼方の世界」から、あるいは「それ自体」の性格を持つ世界から、母親に全的に護られて、人間界というこの世にパラシュート降下するのになぞらえられるような劇的な出来事のように見えます。そのような意味を持つ状況は、赤ん坊にとっては「関係性」の萌芽の状況でもあるので、その予感はあって当たり前というべきです。その予感というのは、関係性という性格からは切り離せない不安、恐怖を感じるに違いない、という意味です。そして関係性の世界は、死によって終止符を打たれる有限の性格のものであるという、誰もが知っている疑いようがない難問を抱えています。つまり、そのことは「死の極北」から吹き募る不安、恐怖という冷風が絶えずつきまとっています。その問題については、人間同士が協働し合うことで、目隠しをする意味を持つ「人間社会」という囲いを設けることで、表面上は「なかったことにする」ようになっております。この人間社会という特有の形態は、いうまでもなく人間自身が創り出したものではなく、生得的なものであるのは言を俟たないでしょう。しかし、その「囲い」は時間的な制約があります。死をもって、その「囲いの世界」は消滅します。このことにどう対処するのかが、「関係性」の彼方にある「自立性」の問題です。このことは、ユングが「人生後半の危機」という主題で問題提起をしております。こういうことを踏まえるのが「自分への関心」を持つという本来の意味になるのでしょう。そして、それは手に余る予感があるので不問に付しているということなのかもしれません。
それは、関係性の世界から、物自体の世界、大自然といったものへの回帰ということになりそうな気配です。
そうしたことを踏まえて、長大な人生の旅に踏み出す、萌芽の関係性の時代では心理―生理的な完璧さが欠かせない、ということなのでしょう。その完璧さというのは、関係性以前の自然と一体のものであることに準じるものです。
ここでお断りしておきますが、こういう「お話」は絵空事に過ぎないという反発があるだろうということです。それに対して言葉を添える必要を感じます。これは「私の物語」であっては寝言に等しいことになるので、反発、疑問は、当然あり得ることです。それに対する弁明は、次のようになります。
それは患者さんに、常々いっている、次のようなこころの問題についての説明を準用することで可能かもしれません。('16/9/10)

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